江戸川区で工務店を経営する社長が徒然なるままに、日常のなんでもないことを書き留める日記です。
よろしければ、ごゆっくりどうぞ。
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我が家の家業は祖父の代から大工業である。
祖父、万蔵は伊勢松阪の人で東京は向島で大工稼業に入り昭和41年に75歳で亡くなった。
私は早稲田大学(法学部)の学生であった。
父は大正6年生まれ、昭和56年に64歳の時、肺がんで亡くなった。私は36歳であった。
祖父は生粋の大工職人で頑固一徹な人であった。、父は職人ではあったが、思いやりのある、言葉数の少ない、実に真面目な人であった。それ程裕福ではない家庭で私を大学に行かせてくれたのは家計的にも大変だったろうと今更ながら感謝している。
祖父の時代は明治の終わりから大正そして昭和の混迷の時代。父の青春は兵隊生活である。父は兵隊前は大工の謂わば丁稚奉公、戦争後は日本建て直し時代の経験者であった。
二人とも実に男らしかった、それに比べると自分はどうかと、反省する毎日である。
祖父、万蔵は伊勢松阪の人で東京は向島で大工稼業に入り昭和41年に75歳で亡くなった。
私は早稲田大学(法学部)の学生であった。
父は大正6年生まれ、昭和56年に64歳の時、肺がんで亡くなった。私は36歳であった。
祖父は生粋の大工職人で頑固一徹な人であった。、父は職人ではあったが、思いやりのある、言葉数の少ない、実に真面目な人であった。それ程裕福ではない家庭で私を大学に行かせてくれたのは家計的にも大変だったろうと今更ながら感謝している。
祖父の時代は明治の終わりから大正そして昭和の混迷の時代。父の青春は兵隊生活である。父は兵隊前は大工の謂わば丁稚奉公、戦争後は日本建て直し時代の経験者であった。
二人とも実に男らしかった、それに比べると自分はどうかと、反省する毎日である。
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当社の会社設立は昭和44年(1969年)4月19日だった。来年には満38年になる。会社設立の手続きは全て自分で見よう見真似でやった。町の大工はまだ「株式会社~工務店」なんて名前をつけると、生意気に思われて仕事が来なくなると言われていたし「~工務店」も天下のスーパーゼネコン「竹中工務店」でもあるまいし、直ぐに墓穴を掘るぞと言われたものだった。それが今では猫も杓子も法人にしなくては商売にならない?ような気分になっている。時代の変化とは色々な意味で面白い。
前々から感じていたのですが、建て主さんによっては建物について全く知識がなくて建て始める方がいらっしゃることです。専門的なことは必要ないとしても、自分がどういう目的でどういう家をどの位の予算で建てるのかいわゆる自分の住まいに対するコンセプトをしっかり持っていることが住まい作りの第一歩だと考えます。
このように日記を書いていきます。
伊藤工務店社長のひとり言コーナーができました。
更新は気の向くまま・・・
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