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江戸川区で工務店を経営する社長が徒然なるままに、日常のなんでもないことを書き留める日記です。 よろしければ、ごゆっくりどうぞ。
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三ヶ月に一度、血液と尿検査を受けている。慢性的に中性脂肪の数値が高い。但しそれ程心配するほどの値では無かった。今回11月28日(火)の診断でメタポリック症候群の前兆になっていると通知された。「貴方の場合はダイエットすることでかなり改善する」とアドバイスされる。
早速、その日からウォーキングを始めた。昨日までで14日間だが2.5キロ減量した。やはりそれなりに効果はでる。前にもそうだったが最初の2~3キロは容易いがここからが難しい。生来、長続きしない性質なのでリバウンドが怖い。
ウエスト88センチが85センチになった。82センチまで頑張る積もりだが、自信はない。家内との賭けには断じて負けたくない。
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私の生まれは、昭和20(1945)年6月26日、現在61歳になります。先の戦争の凡そ2ヶ月前に疎開先の岩手県宮古市で生れたそうです。
現在、家族は母、妻、長男と同居しており他家へ嫁いでいる娘が二人います。その他重要なメンバーにショーンがいます。ショーンはチワワのロングヘアーでブラウン色の年齢満7歳です。
江戸川区には昭和28年から住んでいます。地元の小学校、中学校と卒業して都立墨田工業高校建築科、最終学歴は早稲田大学第一法学部43年度卒です。
資格は二級建築士、宅地建物取引主任者です。

座右の銘は~「人間万事塞翁が馬」「禍福は糾える縄の如し」。       

好きな作家は~「寺田寅彦」「谷崎潤一郎」「小室直樹」「山本夏彦」「夏目漱石」「藤沢周平」「吉村昭」。

趣味は~読書、ゴルフ(H,D8)、パソコン、最近、英会話(但しなかなか上達しない)。

楽しみ~毎週土曜日に開かれる友人との「時事放談」とスーパー銭湯のサウナ。

好きな映画~邦画「七人の侍」 黒澤明監督作品   外国映画「ゴッドファーザー」

好きな俳優~邦画 男優:市川雷蔵・三国連太郎  女優:八千草薫・草笛光子 外国 男優:マルチェロ・マストロヤンニ  女優:オードリーヘップバーン・イングリッドバーグマン

好きなプロゴルファー~ アメリカのトム・ワトソン

尊敬できる人~ 永遠に謙虚な人
嫌いな人~ 傲慢な人(息子には私が少し傲慢だと注意される)
自分のことは分からないものです。心しなければと常に思っています。

尊敬する人~渋沢栄一




昭和44年(1969)4月19日の会社設立から私は家業に入った。世相は、49年まで5年間で、大きな出来事は48年(1973)のオイルショックだったろう。狂乱物価になり、ここまでの、高度成長も失速した時期であった。

20代でまだまだ未熟な私にお客様は設計施工を任せてくれた。それは亡父が後見していてくれたからである。
私は、お客様からお金を貰って修行出来たのである。

昭和57年(1982)に本格的な茶室建築を任せられた時は正直震えた。茶庭まで任せられたのである。
早速、資料を揃えた。先ず「堀口捨巳」の著作を読み、教科書として中央公論美術出版の「日本建築史基礎資料集成 第二十巻 茶室」を選んだ。
この本を徹底的に読み、特に寸法に拘った。
新木場の茶室・数奇屋専門の材料屋さんに意見を聞き、多くの茶室を見学した。
この材料屋さんから、柱(北山杉の面皮柱)、内法、造作材は秋田杉の赤身、床柱はムクの変木等など、大変お世話になった。

茶庭は麻布にある茶庭専門の庭師にお願いした。
寄り付きの位置、蹲(つくば)いの形、位置など時間を費やした。
扁額は船板を使い、彫刻師に彫ってもらった。施主様は「聖祥庵(せいしょうあん)」と命名した。

施主様から大変に感謝されたのは建築屋冥利である。
現在に至っても、度々、建築の御用命を頂いている。
一番の功労者は大工、中山喜久次さんと堀信夫さんだ。二人がいたから完成したのだと心底思う。中山さんは10年前に亡くなった。堀さんは大工リーダーとして現在も健在である。

完成した茶室は当社ホームページに掲載してある。

その他、多くの建築経験をさせてもらった。
その中でも、私にとって忘れられない建築の一つがこの茶室建築である。
建築科は一クラスだげで、入学したのは40名だったと思う。同級生は全員男、それも皆、でかかった。
卒業したのは37名になっていた。
その内一人女性が入っていた。

高校の思い出は、皆んなが建築に対する思い入れが強いと感じた事だった。
その頃、皆の愛読書は「彰国社の新建築」が圧倒的に多かった。
今考えると高校生初学年には、相当レベルが高いと思う。
この中の掲載建築作品について批評が百出していた。

建築科学生は全て「青龍会」に所属し、会の歌「狂人寮々歌」の意志を先輩から教え込まれた。
かなりのバンカラ学風であった。

全国の高校建築科で行われる「設計コンペ」で常に一席から三席には入っていた。かなりレベルが高かったのである。
文化祭では「本格的な茶室」、学校入り口に「羅生門風の門」を生徒が手作りで作り上げた。
そういう学友を誇らしいと思うと同時に少し気後れもしてきた。

二年の後半に自治会生徒会々長選挙が行われた。
建築科からも出そうということになり私が選ばれた。
今考えてもどうして私が選ばれたのかよく分からない。
電機科、機械科は二クラスなので建築科からは当選しないだろうと考えていた。

それが開票すると当選してしまったのである。

生徒会々長になって色々な経験をしたことから、卒業後の進路
に迷いが出て来た。
結果、これが大学入学の理由の全てではないが、同級生と異なる進路をとることになったのである。
当社には専門の営業社員はいない。
私を含めて社員全員が他の仕事と兼務している。
重点営業はあくまでも現場第一主義である。
会社設立後、38年間に亘って、存続出来たのは偏に、お客様のご紹介があったからである。

今まで、当社のお客様は、お1人で何軒もご用命下さる方がいらしゃったり、仕事が甘い時には何とか伝を頼ってご紹介して下さった。
大工及び工務店には、昔から地場に根差した地域の方の応援があったのである。
あらためて、この長年に亘るサポートに対し、心から感謝とお礼を申し上げなければならないと考えています。

時代は変わり、工務店経営も「物作り」から何となく「物売り?」に近い営業も余儀なくされている風潮があります。この点、私は少し生意気ですが、日本の住宅建築の将来に心配もあります。特に町場に職人が育たない現実を憂慮しています。

当社は小さな会社なので顧客数は少ない。
小さいばかりではなく、営業テクニックもない。
どちらかと言えば「営業は口先ばかりで嫌だねえ」と言う誤った先入観が、私達、旧い工務店にはあった。
だから仕事をしっかりやっていれば自ずと向こうからやって来ると本当に思っていた。
その方向は全く誤りではないが、工務店の情報を発信しなくてはより多くの方にめぐり合えないと考えるようになった。

現時、《IT》と言う公平?な伝達手段が出現した。
有難い事である。
そこで、当社のありのままを開示して、ご用命の因にしたいと考えているところです。

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