江戸川区で工務店を経営する社長が徒然なるままに、日常のなんでもないことを書き留める日記です。
よろしければ、ごゆっくりどうぞ。
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当社、社員構成は、此処10年変わっていない。顔ぶれは何人か変わった。大工さんも常傭(じょうよう)が12人、手間請けが5人である。社員については「会社概要」にある通り、雨宮(あめみや)専務以下、現場監督5人。コーディネーター(女性)1人。経理1人(女性)。総務1人そして社長の私で合計9人。平均年齢42歳。
大工さんの平均年齢は46歳になる。
工事内容を請負金額から見れば木造専用住宅が6割、リフォーム2、5割、その他1、5割で推移している。ここの処の大きな流れは住宅、リホーム共、設計士、建築家の設計による仕事が多くなってきたことである。施主が建築にこだわりを持って臨むことが多くなってきたように思う。
自社オリジナル設計(佐藤部長の設計)による住宅は現在、江戸川区西一之江で木造平屋建て若夫婦専用住宅を建築中である。
今後も、社員構成、腕の良い大工人員の確保を図り、会社の質的充実と向上を期して行きたいと心に決めている。
大工さんの平均年齢は46歳になる。
工事内容を請負金額から見れば木造専用住宅が6割、リフォーム2、5割、その他1、5割で推移している。ここの処の大きな流れは住宅、リホーム共、設計士、建築家の設計による仕事が多くなってきたことである。施主が建築にこだわりを持って臨むことが多くなってきたように思う。
自社オリジナル設計(佐藤部長の設計)による住宅は現在、江戸川区西一之江で木造平屋建て若夫婦専用住宅を建築中である。
今後も、社員構成、腕の良い大工人員の確保を図り、会社の質的充実と向上を期して行きたいと心に決めている。
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11月30日(木)大杉二小で「授業公開・説明会」があり最後に野口芳宏氏の講演があった。
氏は、野村良子校長先生の恩師である。演題は『授業の本質 国語指導の理論と技法』であった。内容は先に読んだ御茶ノ水女子大教授、藤原正彦氏の『国家の品格』『祖国とは国語』と共通するものがあると私は感じた。一言で言えば【国語】こそ学問の中で最も重要であるということだ。私も全く同感である。講演の中で、授業の本質は《学問の形成》である事。これ以外は枝葉末節と言っても良い。
他、野口氏からの400名近い聴衆に質問があった「皆さんは学校は先ず、楽しくなければいけないと考えているのか」○か×か答えて下さい。私は躊躇なく×にした。学ぶことは楽しいと考えたことはないからだ。七対三位で○が多かった。氏も×だと言う。同感。人間の快感は努力、苦労なく得た〈不労快感〉と、努力・苦労・失敗から得た〈達成快感?〉がある。達成快感こそ人間本来の快感であると断定する。全く同感。素晴らしい講演会であった。
氏は、野村良子校長先生の恩師である。演題は『授業の本質 国語指導の理論と技法』であった。内容は先に読んだ御茶ノ水女子大教授、藤原正彦氏の『国家の品格』『祖国とは国語』と共通するものがあると私は感じた。一言で言えば【国語】こそ学問の中で最も重要であるということだ。私も全く同感である。講演の中で、授業の本質は《学問の形成》である事。これ以外は枝葉末節と言っても良い。
他、野口氏からの400名近い聴衆に質問があった「皆さんは学校は先ず、楽しくなければいけないと考えているのか」○か×か答えて下さい。私は躊躇なく×にした。学ぶことは楽しいと考えたことはないからだ。七対三位で○が多かった。氏も×だと言う。同感。人間の快感は努力、苦労なく得た〈不労快感〉と、努力・苦労・失敗から得た〈達成快感?〉がある。達成快感こそ人間本来の快感であると断定する。全く同感。素晴らしい講演会であった。
昨日、小学校の「授業公開・説明会」に出席して来た。
私は、こちらのPTA会長を経験し、現在は役員経験者の集まりである「OB会」の会長、「すくすくスクールサポートセンター」「学校評議員」を兼ねて地域のお手伝いをさせて頂いている。
PTAとの係わりは、長女が小学校に入学した年、昭和55年(1980)からだから26年になる。
この試みに接するのは初めてことだった。午後1時半から5時までと長時間ではあったが有意義な時間であった。終了後、教職員、講演者の皆様との反省会兼慰労会にもT氏、N氏、K氏、Y氏と共に参加させて頂いた。
この小学校は平成18年度、区の教育課題実践推進校になり教育課題として「確かな学力を育てる国語力向上」を掲げた。
研究主題に「伝え合い、学びを深め合う子~国語科の読み・書き関連学習を通して~」として、最初に、一学年から六学年までの国語の授業を公開した。
そのあと、体育館に場所を移して「研究主題」の発表、「指導講評」、野口先生の「授業の本質」講演、最後にN校長先生の謝辞で終了した。
子供達にとっては素晴らしい経験を得たと思うし、私達地域の者にとっても大きな財産になったと思う。学校が研究発表することは発表を目標に、教師も児童も、日々、精進する事になる。
目標があると計画的に、組織的に、継続的に、皆が力を合わせ、効果を目指して努力することになる。
この試みはN校長先生を初めとする先生方の自主的なものなのです。言葉を変えればわざわざ面倒な手間の掛かる?ことはしなくても良いのです。
私はN校長先生を初め教職員の皆様に対して、心から敬意を表し、敢えて困難に取り組み、そして得た喜びと安堵の表情を見た時、やはり何かに立ち向かう者にこそ本当の快感が得られるものだとあらためて感じた一日でした。
私は、こちらのPTA会長を経験し、現在は役員経験者の集まりである「OB会」の会長、「すくすくスクールサポートセンター」「学校評議員」を兼ねて地域のお手伝いをさせて頂いている。
PTAとの係わりは、長女が小学校に入学した年、昭和55年(1980)からだから26年になる。
この試みに接するのは初めてことだった。午後1時半から5時までと長時間ではあったが有意義な時間であった。終了後、教職員、講演者の皆様との反省会兼慰労会にもT氏、N氏、K氏、Y氏と共に参加させて頂いた。
この小学校は平成18年度、区の教育課題実践推進校になり教育課題として「確かな学力を育てる国語力向上」を掲げた。
研究主題に「伝え合い、学びを深め合う子~国語科の読み・書き関連学習を通して~」として、最初に、一学年から六学年までの国語の授業を公開した。
そのあと、体育館に場所を移して「研究主題」の発表、「指導講評」、野口先生の「授業の本質」講演、最後にN校長先生の謝辞で終了した。
子供達にとっては素晴らしい経験を得たと思うし、私達地域の者にとっても大きな財産になったと思う。学校が研究発表することは発表を目標に、教師も児童も、日々、精進する事になる。
目標があると計画的に、組織的に、継続的に、皆が力を合わせ、効果を目指して努力することになる。
この試みはN校長先生を初めとする先生方の自主的なものなのです。言葉を変えればわざわざ面倒な手間の掛かる?ことはしなくても良いのです。
私はN校長先生を初め教職員の皆様に対して、心から敬意を表し、敢えて困難に取り組み、そして得た喜びと安堵の表情を見た時、やはり何かに立ち向かう者にこそ本当の快感が得られるものだとあらためて感じた一日でした。
昭和36年4月に都立墨田工業高等学校、建築科に入学した。
社会状況では36年10月に柏戸・大鵬が横綱に同時昇進した。38年11月ケネディ大統領が暗殺され、39年10月東京オリンピックが開催された。
建築関係では35年にカラーベストが販売開始され、36年には木造住宅用アルミサッシが初めて不二サッシから発売された。
私は漠然とではあったが大学、それも早稲田大学に憧れていた。多分、尾崎士郎の「人生劇場」の影響だろうと思う。でもこの時代は大工の倅が大学へ行く時代ではないし、早く親の助けをしなくてはと考えた末の決断だった。
高校時代の友人が今の私の大きな財産になっている。大林組に入って現在系列の社長になっているS氏、設計事務所所長のO氏、戸田建設のH氏、東京ガスのI氏、その他毎年忘年会を開いている仲間達だ。
卒業後は当然家業へ入る積もりであったが結果的には早稲田大学それも畑違いの法学部に入学することになるのである。人生全く分からない。
社会状況では36年10月に柏戸・大鵬が横綱に同時昇進した。38年11月ケネディ大統領が暗殺され、39年10月東京オリンピックが開催された。
建築関係では35年にカラーベストが販売開始され、36年には木造住宅用アルミサッシが初めて不二サッシから発売された。
私は漠然とではあったが大学、それも早稲田大学に憧れていた。多分、尾崎士郎の「人生劇場」の影響だろうと思う。でもこの時代は大工の倅が大学へ行く時代ではないし、早く親の助けをしなくてはと考えた末の決断だった。
高校時代の友人が今の私の大きな財産になっている。大林組に入って現在系列の社長になっているS氏、設計事務所所長のO氏、戸田建設のH氏、東京ガスのI氏、その他毎年忘年会を開いている仲間達だ。
卒業後は当然家業へ入る積もりであったが結果的には早稲田大学それも畑違いの法学部に入学することになるのである。人生全く分からない。
昭和44年(1969)の社会状況は1月に「東大安田講堂封鎖解除」5月に「東名高速道路 全線開通」11月に「赤軍派53名、大菩薩峠で逮捕」の事件があった。
建築関係では4月に「住宅金融公庫の融資が無抽選」になった。
当社では、社長(父)、監督(私)、大工は、中山喜久次さん他職人5名、弟子2名(堀信夫さん、堀文夫さん)で営業していた。
当時、修行中であった堀信夫大工が現在大工職人集団のリーダーで活躍していてくれるのは当社にとっては最大の喜びである。
その頃の協力業者で今も続いているのは、給排水の㈱上野工業、基礎工事の㈱矢萩建設の二社だけになってしまった。
この二社共、息子さんが跡を継いでいる。
建築にとって、理論は重要である。さらに理論に裏打ちされた経験はもっと重要であると私は考えている。
建築関係では4月に「住宅金融公庫の融資が無抽選」になった。
当社では、社長(父)、監督(私)、大工は、中山喜久次さん他職人5名、弟子2名(堀信夫さん、堀文夫さん)で営業していた。
当時、修行中であった堀信夫大工が現在大工職人集団のリーダーで活躍していてくれるのは当社にとっては最大の喜びである。
その頃の協力業者で今も続いているのは、給排水の㈱上野工業、基礎工事の㈱矢萩建設の二社だけになってしまった。
この二社共、息子さんが跡を継いでいる。
建築にとって、理論は重要である。さらに理論に裏打ちされた経験はもっと重要であると私は考えている。