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江戸川区で工務店を経営する社長が徒然なるままに、日常のなんでもないことを書き留める日記です。 よろしければ、ごゆっくりどうぞ。
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こうして、「おかみさん」がお弟子(別名 小僧さん)さん達の食事を筆頭に様々、世話をしても、志半ばで辛抱出来ずに故郷に帰ってしまったり、転職して行く人が多くいた。

辛抱の上、5年間修行して、1年の御礼奉公後、職人になれる人は三割位だったと記憶している。

折角、手塩にかけて面倒見て、この男はいい職人になると期待していた弟子に夜逃げされた時の父の落胆した姿を想いだす。

様々な若い衆(年長な弟子)がいた。
主人と子供二人いる奥さんと駆け落ちして行った人もいた。
ショウちゃんだ。父の亡くなった時にお線香を上げに来てくれたが、名古屋で中堅の建設会社の現場監督をやって幸せに暮らしていた。

親方である父は何時までもこの「ショウちゃん」の事を心配していた。その話をしたら「ショウちゃん」仏壇の前で声を上げて泣いていた。当時、父は「ショウちゃん」をぶん殴って顔に疵を付けた。逃げられた夫にはその位のことをしなければ刃傷沙汰になる恐れがあったのだ。

喧嘩ぱやくてしようがない人もいたし、手癖が悪く家の物を持ち逃げして出奔して行くのもいた。その度に親方、おかみさんは愚痴も、いい訳もせずに頑張っていた。本当に昔の人は偉かった。私達の親は震災・戦争・不況を皆背負って生きて来ていたのでそんな苦労は朝飯前だったのだろう。

でも、親方は、おっかなかったけれど、休みには「船橋ヘルスセンター」とか「釣り船」とか、食事には皆を連れて行ってくれた。

もう直ぐ、死んだ親父の年齢になるが、今、会えるものなら会って話し明かしたい。
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