江戸川区で工務店を経営する社長が徒然なるままに、日常のなんでもないことを書き留める日記です。
よろしければ、ごゆっくりどうぞ。
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人には誰にでも故郷はある。
私の生れた場所は、岩手県宮古市八幡前 であると両親から言われている。
もの心ついた時は東京にいた。
その後、子供の頃から夏休みになると宮古に行った。
そこには、母方の祖父、祖母、叔父、叔母等親戚がいた。
宮古は漁港の町である。
人口は5~6万人。陸中海岸国立公園を抱え、海あり山あり川ありの本当に風光明媚な所である。
私の妻、実枝子もここで育ち、宮古市役所の職員で市の教育委員会に勤めていた。
妻は「東京には空が無い」と言って未だに宮古に帰りたいと言っている。
妻にとっては心の底から故郷なのである。私ににとっても故郷にしたい場所である。
私の実際の故郷は江戸川区である。
小学校二年から現在地に移り住んで54年目、山も、海も、宮古ほどの綺麗な川はないけれど、私を育ててくれた町であり、人々である。
子供の頃には小川、池、空き地も沢山あって、遊ぶには苦労しなかった。
今、注目されている映画「ALWAYS」の昭和33年は中学校に入学した年だ。映画の通り我が家でも丸い卓袱台で家族5人、そして大工修行の小僧さん達と食事をした情景を思い出す。
故郷は風光明媚に越した事はないけれど、それにも増して友人とか、学校とか、先輩、地域がいいともっと故郷は良くなるし、心に沁みて、故郷に愛着を感じるものだと思う。
そんな町にしたいものである。
私の生れた場所は、岩手県宮古市八幡前 であると両親から言われている。
もの心ついた時は東京にいた。
その後、子供の頃から夏休みになると宮古に行った。
そこには、母方の祖父、祖母、叔父、叔母等親戚がいた。
宮古は漁港の町である。
人口は5~6万人。陸中海岸国立公園を抱え、海あり山あり川ありの本当に風光明媚な所である。
私の妻、実枝子もここで育ち、宮古市役所の職員で市の教育委員会に勤めていた。
妻は「東京には空が無い」と言って未だに宮古に帰りたいと言っている。
妻にとっては心の底から故郷なのである。私ににとっても故郷にしたい場所である。
私の実際の故郷は江戸川区である。
小学校二年から現在地に移り住んで54年目、山も、海も、宮古ほどの綺麗な川はないけれど、私を育ててくれた町であり、人々である。
子供の頃には小川、池、空き地も沢山あって、遊ぶには苦労しなかった。
今、注目されている映画「ALWAYS」の昭和33年は中学校に入学した年だ。映画の通り我が家でも丸い卓袱台で家族5人、そして大工修行の小僧さん達と食事をした情景を思い出す。
故郷は風光明媚に越した事はないけれど、それにも増して友人とか、学校とか、先輩、地域がいいともっと故郷は良くなるし、心に沁みて、故郷に愛着を感じるものだと思う。
そんな町にしたいものである。
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