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江戸川区で工務店を経営する社長が徒然なるままに、日常のなんでもないことを書き留める日記です。 よろしければ、ごゆっくりどうぞ。
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昨日18日、日曜日、母と家内三人で菩提寺、立石徳念寺に墓参りに行って来た。
昨日から彼岸入りである。恒例の墓参りで、私は、春、秋の彼岸、父の祥月命日、お盆の入りそして年の暮れと5回は必ず訪れる。この行事を怠るとどうも落ち着かない。

特に墓参りに行かないと良くないことが起こるとかそんな深刻な考えではない。とに角、ご先祖様に頭を下げたい、心を捧げたいそれで何か気持ちがすっきりするのである。

亡き先代住職夫人に「お布施」をお渡しして、お線香を買いお墓に向かう。こちらの通路は昔先代、住職から下命を受けて私が御影石板を設置したものである。その頃普請した「木造庫裡」も二年前に鉄筋コンクリート造に建替えられた。こちらの娘婿住職の発案によるもので新しい構想であろう。

高齢の母も元気に3人で墓石を洗う。お花を供え、お線香を灯す。お水をかけ心からの「こうべ」を垂れる。
お参りをすると必ず昔の事が思い出される。先代住職には様々目に掛けて頂いた。名古屋からこちらに来られた方で、良く文学論議をしてくださった。

本当に残念なことに50代後半でお亡くなりになってしまった。
帰りには必ず先代住職の眠るお墓にも参って帰ることにしている。
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大工職人の配置転換が難しくなっている。

特に、リフォーム作業になると大工も「多能工」的要素が必要になってくる。
概して50歳以上の大工職人は《大工は大工仕事だけに絞って仕事をしたがる。》
それも当然ではあるが最近はあまりに、頑なにそれを主張し過ぎると自分に合う適当な仕事にめぐり合えなくなってきている。大工に対する要請が変わって来ているのである。

主義として大工仕事だけしかやらない。その仕事が無ければ遊んでいても良い。
こういう職人も偶に居る。
こういう大工は、却って、はっきりしていて良い。

中途半端な職人が一番使い辛い。
口が先に立って腕も無いのに余計な口を利く。
無駄な動き、無駄な口舌が多い人。

こうして見ると、良い大工職人は、全体を良く把握していて、研究熱心、大工道具を大切に扱い、身奇麗にして動作は機敏、言葉遣いは丁寧、自己管理宜しくメタポリックシンドロームの恐れなど微塵も感じさせない。こんな大工職人は居るものです。
午後から各現場を回る。
先ず、竣工間近い江東区南砂町の『太知邸』、次に、足立区千住大川町の『辻邸』、葛飾区立石『浅香邸』、江戸川区西小岩『尾寺邸』、江戸川区北篠崎『白井邸』、これから始まる市川市若宮の『益川邸』を回る。

現場を回るとつい管理者の荒(欠点)をついてしまう。管理者の拙さ、欠点は全て社長である私の責任である。
もの作りの原点は現場にありとはよく言われることである。
建築工事も例外ではない。

現場の工程管理、整理整頓、現場員のマナー、協力業者(下職)の質等に会社の実像が現れる。
お施主様には、誠に申し訳なく申し開き出来ないと分かりつつ、不行き届きの点、クレームの出る点についてお詫びするのみである。

どうしても、自然木を使う関係上反りとかムラが出るし、時には人間の技、或は手でやる性質上のクレームが発生する。
ただ、ただ、修復を迅速にするのみなのである。
昨夜、小学校(大杉小学校)時代の友人の尊父が亡くなり、お通夜に行って来た。
斎場で同窓生十人位と同席した。
三年前の同期会以来の顔合わせである。

私は、A氏と専ら話を弾ませた。
彼は身長1メートル80センチで今でも素晴らしい体格を維持している。スポーツは万能でハイジャンプでインターハイ2位の選手だったし学業成績も良く昔の級長には毎年選ばれていた。同級生の垂涎の的であった。

現在も事業で成功していて家庭的にも申し分ないようで、誠に羨ましい境遇である。

ただ、ふと漏らした悔恨の言葉が印象的であった。
小学校時代、他の学友から羨望の目で見られていたことからやはり自惚れ、傲慢になって、今考えると全く嫌な性格であったと吐露していた。

その性格が災いして、かなりの同級生を苛めていた。
今、心から反省していると言っていた。
何があったのか、そんな反省を込めた話をする心境になったのかは想像するしかないが、人間、年をとると自分の生き様を振り返り懺悔する気持ちになるものだ。

小学校時代のことであっても人間一生、心に残っているもので、その疵は消えない。
苛められたり、差別された側の友人も知っているし今回の苛めた側の友人にも会った。両方共引きずっているのだ。

私自身だって誰かを苛めていたのであろう。
幸いに私は感性が鈍いのと、運が良かったのか苛められたという経験は無い。でもこれは人生で良いのか、悪いのか誰も断定は出来ない。しかし今の時代のように小学生が何人も自らの命を絶つことは異常である。
今日、大杉第二小学校の第32回『謝恩会』に出席して来た。

PTA顧問、杉友会会長として招待を受けたのである。
私は、この謝恩会には、時間が許す限り出席させて頂いている。理由は、卒業式は式典という性質上、厳粛で身が引き締まるものであるが、謝恩会は目的が違う。

謝恩会は卒業生と諸先生方、父母、地域の暖かい生の触れあいを感じるから特に出席したいのである。

加えて、卒業生の感謝の言葉、器楽合奏と劇がある。
これ、全て、学校生活の集大成である。
この1日で全てを表すとは言えないが、ある部分を窺い知ることは出来る。
年ごとに、雰囲気は違うし、全ての出来栄え、チームワーク、意気込み、顔付きが違う。

今年の卒業生は近年では一番バランスのとれた素晴らしい児童だと感じた。
バランスとは、学力、芸術性(音楽、工作)、クラスの纏まり、体力的にである。

私の評価基準は、『都内の学力テスト結果』と『学芸会』、『鼓笛隊』、『運動会』、『展覧会』、『30周年記念式典』、『江戸川区研究発表推薦校指定』、『学校評議員』、『すくすくスクール』と自分で参加した体験からはじき出したものである。

この【成績向上】の最大の功労者は間違いなく野村良子校長先生である。
私のPTA経験の中で、一番、情熱を感じた校長先生でありました。時には、一部の人からは反対意見も出たが怯むことはなかった。やはり天は味方した。いや、天では無く児童そのものが結果を出してくれた。
野村校長先生、本当に良かったですね。心からその努力に敬意を表します。

次に、その行動を支えた、池田朋光副校長先生と担任である若き三人の先生方であった。この方々にも、心から感謝と敬意を表したい。

私達、地域、PTAは一生懸命頑張っていただける先生方には万難を排して応援します。今、地域産業は疲弊しています。全ての人が学校に協力出来ない場合もあるが、心は子供達の将来に心を馳せています。

野村良子校長先生は今年、定年で卒業生と共に長い教職生活から離れます。誠に残念です。
出来うることなら来年もと思いますがそれは叶えられません。

この続きは、
新しいリーダーに期待したいと思います。

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