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江戸川区で工務店を経営する社長が徒然なるままに、日常のなんでもないことを書き留める日記です。 よろしければ、ごゆっくりどうぞ。
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今年もまた、卒業式の季節がやって来た。

私も、大杉第二小学校の卒業式に招かれるだろう。
式では、学校長、役所関係者、地域来賓の方が祝辞、はなむけの言葉を述べる。

私が述べる機会を与えられたらどんな話をすべきであろう。
一般的には、『先ず、卒業おめでとうから始まり、入学から遡り、見違えるように心身共に大きくなって立派になった。これは、諸先生方、地域、ご両親の慈愛のお陰で己一人で成長したと考えてはいけない。
皆様のお陰と言う謙虚な気持ちを持ってください。
そして大きな目標を持ってそれに邁進し、達成されん事を期待し、お祈り致します。』となるであろう。

私は、それに加えて、中学校に行ったら、『苛める側にも苛められる側にもならないようにしてください』と特に言いたい。
苛められている同級生がいたら庇ってやり、苛めている人にはそんな卑怯な事は止めろといえる人になって欲しい。
余りにも、同級生に対して無関心過ぎる。

もう一つ、自分の人生、他の人と比較して生きるのは止めようと言いたい。
人それぞれ個性がある。勉強の得意な人、スポーツの得意な人、唄うことの上手な人、ユーモアのある人、人を纏めることの上手い人、心優しくお年寄りに好かれる人、上手に物を書ける人、金儲けの上手い人等など。皆人間社会には必要な人々です。

それぞれの分野で自分の成長に思いを馳せるべきです。
誰もが、レッドソックスの松阪にはなれないし、松井、イチローにもなれない代わりに、家を作る大工になれるかも知れないし、立派な現場監督にはなれるかも知れない。
それぞれ持ち場はあるのです。その持ち場を持ってくれる人がいなくてはイチローも松阪も、松井も、石原慎太郎も安倍総理もいらなくなってしまう。

例は悪いかも知れないが「かごにのる人、担ぐ人、それまた、わらじを作る人」が居て、それぞれの分野で能力を高めていく事が大事ではないかと言いたい。
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英語教育について「小学校」から始めるべきか、いや今のまま中学校からでよいと、意見が分かれている。
私は、小学校から教える必要は無いと考えている。

それぞれ言い分はある。早期に教えるべきであるとの理由も分かる。そのそれぞれの理由のなかで私は、世界中で言語を「漢字」「ひらがな」「かたかな」と三種類を使い分けているのは日本人だけではないかと思っている。これは便利?である反面使い切るのは難しい。

外国語を憶えることよりも「俳句」「短歌」「川柳」他、世界に誇る「日本の古典」を学ぶ事の方が日本人として重要だと考える。
諸外国と比較して英語力が落ちているのは全体であって
使える人がいないわけではない。英語の必要な人は使えるのである。

日本人全体が分からなければならないことでは無い。
こうして、「おかみさん」がお弟子(別名 小僧さん)さん達の食事を筆頭に様々、世話をしても、志半ばで辛抱出来ずに故郷に帰ってしまったり、転職して行く人が多くいた。

辛抱の上、5年間修行して、1年の御礼奉公後、職人になれる人は三割位だったと記憶している。

折角、手塩にかけて面倒見て、この男はいい職人になると期待していた弟子に夜逃げされた時の父の落胆した姿を想いだす。

様々な若い衆(年長な弟子)がいた。
主人と子供二人いる奥さんと駆け落ちして行った人もいた。
ショウちゃんだ。父の亡くなった時にお線香を上げに来てくれたが、名古屋で中堅の建設会社の現場監督をやって幸せに暮らしていた。

親方である父は何時までもこの「ショウちゃん」の事を心配していた。その話をしたら「ショウちゃん」仏壇の前で声を上げて泣いていた。当時、父は「ショウちゃん」をぶん殴って顔に疵を付けた。逃げられた夫にはその位のことをしなければ刃傷沙汰になる恐れがあったのだ。

喧嘩ぱやくてしようがない人もいたし、手癖が悪く家の物を持ち逃げして出奔して行くのもいた。その度に親方、おかみさんは愚痴も、いい訳もせずに頑張っていた。本当に昔の人は偉かった。私達の親は震災・戦争・不況を皆背負って生きて来ていたのでそんな苦労は朝飯前だったのだろう。

でも、親方は、おっかなかったけれど、休みには「船橋ヘルスセンター」とか「釣り船」とか、食事には皆を連れて行ってくれた。

もう直ぐ、死んだ親父の年齢になるが、今、会えるものなら会って話し明かしたい。
昨日、何十年振りかで亡父の弟子だった大工職人さんが訪ねて来てくれた。
私がまだ小学校高学年から中学生中の頃に、我が家に住み込みで修行していた人である。
私はその人のことを「タカちゃん」と呼んでいた。他に「ミッちゃん」「ショウちゃん」「ケンちゃん」の4人が修行中だった。

昭和33年頃の事である。
おかみさんである母は毎日の「オサンドン」で大変だったという記憶がある。なにせ皆食欲旺盛な若者ばかりである。

掃除、洗濯、お茶だし、顧客の接待、帳簿など一人何役もこなしていた。今も健在だが昔のおかみさんは偉かったとつくづく思う。 づづく…
常に人の上に立つことの難しさを感じている。

小さい会社を経営しているので10人以上の社員の上に立っている。会社は倫理、道徳あるいは人の道を教える所では無い。
会社は先ず存続させなければならない。

存続させるにはどうしたら良いのか。
第一に利潤を上げなければならない。
会社が破綻をすると、最初にお客様にご迷惑をかける。次に関係する取引先、そして社員、家族を路頭に迷わすことになる。
利潤を上げる為なら何をしても良いわけではない。
不正な手段を用いることは論外。
誠心、誠意お客さまの要望に答える。

その為には、我が社の業種である建築についてのスキルを学び、専門性を身に付けることである。
自ずと人間性の陶冶、学ぶ事の険しさ、人間関係の難しさを克服しなければならない。
とても人に教えられる器量ではないが、一緒に学んで行きたいと考えている。
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