忍者ブログ
江戸川区で工務店を経営する社長が徒然なるままに、日常のなんでもないことを書き留める日記です。 よろしければ、ごゆっくりどうぞ。
[2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

一昨日、仕事で浅草に行ったことは既に書いた。
私にとって「浅草」という町は郷愁を感じさせる場所だ。

父の実家が浅草に近い「向島」にあったこと、親戚が浅草寺の直ぐ隣に位置していたこと、父の大工丁稚奉公先が近くの「稲荷町」にあった事、父の直ぐ下の叔父のやはり大工奉公先が「浅草松屋」の隣にあった事等が縁で、子供の頃はよく父に連れて行かれた。

その後仕事での縁も出来た。
メトロ通りにある「とんかつ 松むら」様は長くご贔屓を頂いていてこのRCの建物は二度目のご用命であった。
少し離れて竜泉のS造「大音寺 客殿」。一昨年は合羽橋でS造4階「東京旅館」様。松が谷でS造「正覚寺 庫裡・客殿」様がある。

リフォームもマンションを中心に当社としてご注文を多く頂いている地域である。

仕事の傍ら浅草寺界隈を良く歩く。昔からの老舗が数多くある。私は専ら食べる方が優先する。良く行く店は、日本そばで竜泉の「角萬」、雷門通り「尾張屋」。どじょうの「駒形どぜう」。とんかつはやはり「松むら」。

昔のロックを歩いていると、不意に私を呼ぶ声がする。「ター坊、ター坊」と。父の声である。振り返ると私の手を引いて込み合う雑踏を歩いて行く父の後ろ姿があった。
浅草に来るとその頃の父に会える気がするのである。

その上、もう一つ偶然があった。
母も昔浅草にいた頃があったのである。最近知った事である。それは父と結婚する前、戦前で昭和15年頃「花屋敷」で事務員をしていた。
それで何となく謎が解けてきた。父との馴れ初めは浅草にあったのだ。しかしその後の話はまだ聞いていない。

昔の「国際劇場」の前に常磐新線の駅が出来た。浅草も変わりつつある。でも変わらないで欲しいものもある。
PR
昨日、台東区浅草で鉄筋コンクリート五階建て、約330㎡の建物を現地調査して来た。

現在は、会席料理屋で一階、二階、三階(宴会場)はお店で上階は自宅となっている。
築年月日は平成2年というからバブル絶頂期の建物であった。
お店の作りは無垢の材料をふんだんに使った純和風の素晴らしいものであった。

偶然にもこの建物の南側に隣接している木造二階建ては私が平成7年に仲介した物件であった。因縁とは摩訶不思議なものである。二物件とも全く異なるルートからのお話であったのである。何か因縁を感じながらオーナーのお話を伺った。

本日は、初対面であり現地調査が目的であったので詳しい所見は述べなかった。
しかし何よりも、オーナーにとって最適な方法をご提案することがなによりだと考えている。

選択肢は様々あると考える。

用途変更、例えば、外人向け簡易旅館。解体して売却。既存のまま売却。近隣の皆様とご相談の上合筆して考察する等など。
パターンを考えて優先順位を示して行こうと考えている。
明日から権利関係のチェックから開始する。
昨夜、大杉第二小学校で私と地域の先輩男性二人の計、三人と野村良子校長先生、池田朋光副校長先生を初め他10名の男女先生方と「お茶のみ会」を開いた。

開催の趣旨は、今、大杉第二小学校は、
野村校長先生になってから様々な改革がなされ、学力、芸術、精神面と数段改善され素晴らしい方向に進んでいる。
この、現況に対して感謝すると共に、更に発展させて頂きたい希望を述べる為である。

私達地域の者は、懸命に子供達の為に良かれと思うことをどんどんやってくれる先生の味方です。何もしないで傍観していて生活のためだけの先生は嫌いです。

集まってくれた先生方は熱意のある人ばかりでした。
やはり結果が出てきたのです。
学力試験の結果が向上しているのです。学力ばかりではありません学校公開に参加してみて、児童が落ち着いてきているのが良く分かるのです。

先生が頑張ると生徒も頑張りPTAも頑張る、地域も頑張りその輪が拡がって素晴らしい大きな輪になるのです。

お集まりになった先生方はお若い方が多かった。
校長先生、副校長先生と話し合う機会は多いが、先生になってまだ経験の浅い方とじっくり話し合う機会はこれまでは少なかった。

私達、地域の者と一般の教職員との懇談は是非必要なことだと痛切に感じた。
私は全くの下戸(お酒が飲めない)である。

父も祖父も、母方の祖父も全く飲めなかったので正真正銘の飲めない一家である。子供達(一男二女)もやはり駄目である。
飲めたらさぞかしいいなあと、思うことは度々ある。
美味しい酒の肴を前にした時、悲しい時、楽しい時、妻、子供達、友人と酒を囲んで語らう時、つくづく飲めたらいいなあと思う。

飲めないからと言って手を拱いたいたわけではない。
若いとき何度も挑戦したのである。私達の若い頃、石原裕次郎全盛時代でビールを水代わりに飲めることが男のダンディズムであった。
人並みにデートしてその頃流行の「コンパ」に女性を誘って飲んで、その女性に介抱してもらう失態を犯したこともある。

建築請負業は男の職業であった。
家を建てることには、様々な場面で男意気が欠かせない。
男意気には酒が付き物。
地鎮祭、上棟式、竣工式、正月、お盆、宴会、職人、友人、顧客に飲まされた。少しも美味しいと思ったことは無い。苦しい思い出ばかりである。若いときにはなかなかお酒を勧められて上手に断れないものなのである。

平成五年に「日中建築考察団」で中国に行った時、各所で歓迎式典に出席した。必ず「カンペイ」で始まる。この時は本当に困った。老酒とか紹興酒などかなり強いお酒での「カンペイ」である。折角の式典を開いてくれているので好意を無にしてはいけないと無理して飲んだ。結局ぶっ倒れた。
後で、青島(チンタオ)で中国にも下戸に似た言葉があり飲めないことは失礼にならないことを聞いて開放された思い出がある。

色々調べると有名人にも下戸は大勢いることが分かった。
いかにも酒豪のように見える、小沢昭一さん、植木等さん、谷啓さん、高倉健さん、関根勤さん、旧くは、西郷吉之助(西郷さん)、私の好きな寺田寅彦さん、夏目漱石さん、川端康成さんなどまだまだいそうである。

下戸の私から見ると上手にお酒を飲む人は少ない。

大抵、お酒で失敗しているようである。それだけ酒飲みには魅力があるのであろうがツケも支払っているように見える。
人生の大きな楽しみの一つ「お酒」の楽しみを知らない私の負け惜しみは、お酒での失敗の無いことで良しとしていることなのである。
私は毎日出勤すると直ぐに、歩いて2分の所にある作業場兼倉庫に行く。
道具、材料が整理整頓されているかチェックする為である。それとリフォーム工事から発生する残材の置き場が見苦しくなっていないかのチェックもある。

当社の作業場兼倉庫内の様子はこの十年で大きく変わった。
先ず、構造材のストックが無くなった事~最近は殆どプレカットになったから。ヒノキ、杉等の見付け柱、上物(じょうもの)のストックが少なくなった事~顧客が柱の上物を要求しなくなった。床の間材等に代表される銘木類のストックが無くなった事~床の間は勿論、上等な和室を要望されなくなった。
無垢(むく)の天井板、框(かまち)、縁甲板等使われなくなってしまった。鉋屑(かんなくず)の種類が変わった~無垢の柱削りが無くなり、削るという作業が無くなりつつある。

一人、誰もいない作業場で旧い材料を見ていると、若い頃、木場で父と尾州桧(びしゅうひのき)丸太を買って、製材工場で割る瞬間のスリルを思い出す。割って、ウロ(腐れ)、大節(おおぶし)が出ると大損害、何も無く無節の柱、内法が取れた時の感動は今も忘れない。その頃の材料が偶に顔を出す。すごく懐かしい。

作業場の臭いも変わっている。これは最近の住宅にも言えることだが、木の臭いが無い。様々な種類の木材が作業場にはあった。杉、桧、松、栂、栗、ラワン、アガチス、とても面白かった。施主、顧客の趣味、価値観が変わったのが最大の原因だ。

これからの家作りはどう変わって行くのであろうか。
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
伊藤忠良
伊藤工務店URL:
職業:
伊藤工務店社長
アクセス解析
忍者ブログ [PR]