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江戸川区で工務店を経営する社長が徒然なるままに、日常のなんでもないことを書き留める日記です。 よろしければ、ごゆっくりどうぞ。
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人それぞれ本当に価値観は違うと思う。

人と人との行き違い、摩擦、争いは根本的にこの違いに基因している。
今日、年来の友人と、この話になった。
話というより忠告されたと言った方が当たっている。

友人、夫婦、親子、顧客、社員など価値観が共通だと自分で断じている場合が多い。
ところがとんでもない錯覚で自分本位に勝手にそう思っているだげで実は相手がかなり我慢していてくれていたのである。

いかにも、相手を尊重して、相手の身になって、相手の価値観を尊重して話している積もりでも、作られた思いやりは直ぐに瓦解する。生来のエゴイズムの力は恐ろしい。

お客様に対して、長年の経験から自分の建物へのコンセプトを押し付けることがある。
ところが、人によって建物へのコンセプトは様々なのである。

性能表示からは等級が上位の建物ではないけれど昭和33年当時の家に住みたいと切望している顧客もいる。そういう人にも工務店は答えて行かなければならない。

思い上がりは最も慎まなければならないと肝に銘じている。
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今日、長女と二人で外食(昼食)した。

長女は嫁いでいて年齢は33歳になる。
夫婦に子供は無く、子供の頃からの希望であった洋菓子、ケーキ作りの職人である。

江戸川区松江にある「うなぎの佐藤」に行った。
こちらの「うなぎ」は私も、息子も大好きで一ヶ月に最低でも一度は行くお店である。
小さい店であるが室内は主人の趣味の良さが十分に反映されていて落ち着いて食事が出来る。
食通の先輩、中代昇兄も認めている。

驚いた事に、この店で、注文を受けている、常に感じの良い女性と長女が中学校時代の同級生だったのである。二人は十五年以上の再会だった。縁とは摩訶不思議なものである。

長女と二人だけの食事は初めてではないかと思う。
最近、夫の故郷、鹿児島に行って来た話、夫婦の話、職場の話などを聞いた。
子供の頃の話も出て来て「いじめ」に合っていたことも聞かされた。今の職場でもそれらしいことはあると言う。
親ばかながら、どうも由貴子(長女の名)は「いじめ」の対象になりがちな性格なのかと心配してしまう。

それでも、私に明るく、堰を切ったように話して来てくれる。私に似て上背が小さくて、少し小太りで可愛そうだなと思う。
職場は朝早くから夜遅くまでで、休みも日曜日だけと聞く、でも働き甲斐があるのだと言っている。

姿、形、話し方を観察していると、紛れもなくわが娘だと思う。

自分の能力通り、好きな仕事を彼女なりに前向きに一生懸命頑張っている。
頑張って、頑張ってそれでも駄目だったら何時でも帰っておいでと言ってやりたい。
人には誰にでも故郷はある。

私の生れた場所は、岩手県宮古市八幡前 であると両親から言われている。
もの心ついた時は東京にいた。
その後、子供の頃から夏休みになると宮古に行った。
そこには、母方の祖父、祖母、叔父、叔母等親戚がいた。

宮古は漁港の町である。
人口は5~6万人。陸中海岸国立公園を抱え、海あり山あり川ありの本当に風光明媚な所である。
私の妻、実枝子もここで育ち、宮古市役所の職員で市の教育委員会に勤めていた。
妻は「東京には空が無い」と言って未だに宮古に帰りたいと言っている。
妻にとっては心の底から故郷なのである。私ににとっても故郷にしたい場所である。

私の実際の故郷は江戸川区である。

小学校二年から現在地に移り住んで54年目、山も、海も、宮古ほどの綺麗な川はないけれど、私を育ててくれた町であり、人々である。
子供の頃には小川、池、空き地も沢山あって、遊ぶには苦労しなかった。

今、注目されている映画「ALWAYS」の昭和33年は中学校に入学した年だ。映画の通り我が家でも丸い卓袱台で家族5人、そして大工修行の小僧さん達と食事をした情景を思い出す。

故郷は風光明媚に越した事はないけれど、それにも増して友人とか、学校とか、先輩、地域がいいともっと故郷は良くなるし、心に沁みて、故郷に愛着を感じるものだと思う。
そんな町にしたいものである。
一昨日の振替休日、13日(月)、田口巳乃留氏のお誘いを受けて、「国風 盆栽展」を見る機会を得た。
会場は上野東京都美術館で二時に着いた。
JRの「公園口」は天気も良かったこともあり混雑していた。

美術館では「オルセー美術館展」も併設されていてごった返していた。盆栽展は年齢層が高く、オルセー展は若い人たちが多かった。そちらは、入場するのに4~50分要していた。

盆栽展には直ぐに入れた。
私には全く初めての経験であった。
田口氏から専門的な説明を受けた。盆栽の種別、盆器、枝ぶり、花ぶり等の善し悪し、年代そして、盆栽の人から人への変遷、歴史など皆、興味深いものであった。

特に有名人として「瀬島龍三」の名札のついたものが出展されていた。
私にとって「瀬島龍三」氏は忘れる事の出来ない名である。
山崎豊子著「不毛地帯」のモデルであり、「幾山河」の著者であり、昭和の参謀だった人である。
私は暫し、佇んでその「黒松」を眺め、彼はどの様な思いを込めて丹精したのか思いを馳せたのであった。

ここに出展されているものは選りすぐりものばかりで、私のような門外漢でも圧倒されてしまう。松系統が圧倒的に多い。私は「五葉松」より「黒松」が好ましかった。外人(白人の方)の方も何人か熱心に鑑賞していた。
全出展数は、数えた訳ではないが800点以上あったのではないだろうか。年数も100年、200年それ以上の物も多数あった。

気の遠くなるような努力。執念、拘り、愛しさ、侘び、寂びを感じながら、まだ人ごみの残る上野公園を後にした。
一昨日、「建築市場研究」で主導していた佐藤君の紹介で名古屋の前田氏に会った。待ち合わせ場所は午後二時、浅草にした。

氏は不動産コンサルタント事業を中心に建築設計事務所、建設業を営んでおられる。お見受けした所50歳前だと想像するが、温厚で理知的な方であった。

浅草は俎上に載せる物件があったので、待ち合わせ場所に設定したが、日曜日はどこも込み合っていた。
やっと、小さな喫茶店をメトロ通り横に見つけて席を確保した。

「建築市場」「不動産事業」「工務店経営」等意見を交換したが、中でも氏は「名古屋建築技能大学校」の理事長を兼務しておられて大工養成に力を注がれている。

専ら大工職人の養成、これからの大工職人について意見を交わした。
最近、当社へも「国土交通省」が支援していると言う「大工育成塾~松田妙子理事長」からここで育った大工の卵を受け入れてくれないかと打診があった。
大工育成についての理念が当社とは合わないので辞退した。

大工職人に要求する技能は現在、多機能にわたっている。
社寺専門からリフォームまで内容が全く異なるが、それぞれ社会の要請は強い。それを一律に大工と言う名で絡げるには無理がある。今、大工技能にプラスして簡単な設備技能も併せ持つ多能工の養成も急務だと感じている。

大工伝統工法で作業する職人は、野球選手で言えば「野茂」「イチロー」「ゴジラ松井」なのであり、彼らに要求するものは町場工務店で要求するものではない。
しかし町場工務店は町場工務店としての役割、は立派に存在する。
持ち場、持ち場。働く位置をしっかりと確保しなければ大工職人の最適化は無くなる。

大工伝統技能の承継も国家的事業であるが、一般町場工務店の要求する大工養成もそれに劣らず急務なのである。
実りある意見交換が出来て四時半に別れたのであった。
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